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Caterina Caselli  | カテリーナ・カゼッリ

バイオグラフィー

 1946年10月25日モデナ近郊のSassuolo(サッスォーロ)生まれ。
 「ビートの女王」として1960年代に絶大な人気を誇り、現在はSugarレーベルでプロデューサーとしてアンドレア・ボチェッリなどを手がけています。
 14歳で「Gli Amici」というグループに参加。1963年のカストロカーロ新人コンテストでジリオーラ・チンクェッティ、ブルーノ・フィリッピーニに次いで入賞し、ミラノ・レコード・カンパニーというマイナー・レーベルに所属。ローマのナイト・スポット「パイパー」でパイパー・ガールの愛称で若者たちの人気アイドルとなりました。ミラノ・レコード・カンパニーの消滅により、1965年CGDに移籍してカンタジーロの新人グループとして「Sono qui con voi(Baby please don't go)」で参加。1966年ジーン・ピットニーをパートナーとして「Nessuno mi può giudicare(青春に生きる)」でサンレモ音楽祭に初出場してからの人気は凄まじく、「Casco d'oro(金のかぶと)」と称された独特の金髪の髪型と、低音の声でのビートの利いた歌は彼女のトレード・マークとなりました。同年「Perdono(涙を許して)」でフェスティヴァル・バール優勝。さらに「Cento giorni(恋の100日)」もヒットしました。翌1967年「Il cammino di ogni speranza(風に消えた恋)」でサンレモに出場し、さらに「Sono bugiarda(I'm a believer)」がヒット。1968年にはイギリスの曲のカヴァー「Il volto della vita(The days of Pearly Spencer・パーリー・スペンサーの日々)」とパオロ・コンテの作曲による「Insieme a te non ci sto più」がヒット。1969年「Il gioco dell'amore(恋の遊び)」でサンレモに出場し、さらに「Il carnevale(カーニヴァル)」でカンツォニッシマ出場。6月にCGDレコードのオーナー令息で副社長のPiero Sugar(ピエロ・シュガー)と結婚、翌1970年も「Re di cuori(心の王さま)」、さらに1971年に「Ninna nanna(ニンナ・ナンナ)」でサンレモに出場。同年息子フィリッポを出産してからは往年のビートの利いた歌唱は影を潜め、大人っぽい曲を歌うようになりました。1974年にプログレッシヴ・ロック・ファンから絶賛されたアルバム「Primavera」を発売したものの、1975年編集盤の「Una grande emozione」を最後に活動を休止。
 そして、CGD社長夫人として、社業に専念して1978年に「Ascolto」レーベルを創設し、ピエランジェロ・ベルトーリ、マウロ・パガーニ、デメトリオ・カスラトスらのアルバムを世に出しています。1990年になってカテリーナ・カゼッリがサンレモ音楽祭に「Bisognerebbe non pensare che a te」でカム・バック。久々のアルバム「Amada mia」を発売しました。
 歌手としての復活はそれ限りで、以後CGD傘下のSugarレーベルのプロデューサーとしてパオロ・ヴァッレージ、ジェラルディーナ・トロヴァート、アンドレア・ボチェッリピッコラ・オルケストラ・アヴィォン・トラヴェルフィリッパ・ジョルダーノらを手掛けています。

アルバム紹介

Caterina Caselli 「Amada mia」

Caterina Caselli 「Amada mia」 (1990)

 上述のようにカゼッリは1990年のサンレモ音楽祭に1.「Bisognerebbe non pensare che a te」で復活しました。その曲自体はマウリツィオ・ファブリツィオ作曲なのですが比較的地味でした。そのとき43歳だったのにジャケ写があまりにも上手く写っていたので、イタリアン・ポップスに疎い担当者が書いたのであろう、渋谷の某店ではアイドルっぽい扱いをされていたのを覚えています。4.「Il volto della vita(パーリー・スペンサーの日々)」、5.「Cento giorni(恋の100日)」、9.「Insieme a te non ci sto più」といった昔からのファンには懐かしいと思われる曲が何曲か新録で聴けます。また、昔からも取り上げていましたが、弁護士でカンタウトーレのパオロ・コンテの曲をタイトル曲を含め数曲歌っています。なお、10.「E se questa fosse l'ultima」はフランコ・バッティアートの「Voglio vederti danzare」、ルーチォ・バッティスティの「Balla Linda」のフレーズを一部引用しています。また、1991年秋に日本盤が発売予定だったものの幻に終わりました。
(Polygram SUGAR 508 100-2) 


Caterina Caselli 「Primavera」

Caterina Caselli 「Primavera」(1974)

 カテリーナ・カゼッリのアルバムを紹介するときには絶対外せないのが本作。本作は1960年代のカゼッリを期待する人からは敬遠され、あまり売れなかったのかもしれませんが、プログレッシヴ・ロック愛好者によって注目され、絶賛されたものです。オーケストラ・アレンジはアリーチェのデビュー作やリッカルド・フォッリのセカンドなどでもアレンジを担当しているダニーロ・ヴォアーナ。オープニングとエンディングのヴォアーナの作曲インスト「Primavera」に9曲の歌が包まれています。シングル・カットされた2.「Momenti si,momenti no(ひとときの夢)」、10.「Noi lontani,noi vicini(あなたを想って)」など、どの曲もオーケストラをバックにした美しい曲ばかり。ジャケットがボッティチェッリの「春」なのも嬉しい。
(日本盤 MMG AMCE-569)


Caterina Caselli 「Casco d'oro」

Caterina Caselli 「Casco d'oro」(1988)

 カテリーナ・カゼッリの歌はビートの利いた1960年代のものと1970年代以降では大きくスタイルが違います。本作は1.「Nessuno mi può giudicare(青春に生きる)」、2.「Perdono(涙を許して)」、4.「Cento giorni(恋の100日)」、8.「Il cammino di ogni speranza(風に消えた恋)」、9.「Il volto della vita(The days of Pearly Spencer・パーリー・スペンサーの日々)」、13.「Insieme a te non ci sto più」など1966〜71年のビートのあるポップスを中心としたベスト盤です。サウンド的には60年代カンツォーネの域ですが、オリジナル曲はパオロ・コンテらソングライター陣に恵まれ、他に16曲中5曲を外国曲のカヴァーが占め、バラエティーに富んでいます。
(CGD CDS 6097)

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