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Fabrizio De André | ファブリツィオ・デ・アンドレ

バイオグラフィー

 1940年2月15日ジェノヴァ生まれ。99年死去。
 1950年代後半「ヴォラーレ」のドメニコ・モドゥーニョの登場により、イタリア音楽界においてカンタウトーレが進出するようになります。特に港町ジェノヴァではジーノ・パオーリを中心にウンベルト・ビンディルイジ・テンコブルーノ・ラウツィ、そしてこのファブリツィオ・デ・アンドレらが活躍の場を広げ、「ジェノヴァ派」と呼ばれるようになりました。
 デ・アンドレは1958年に「Nuvole barocche」でデビュー、当時の「アモーレ」を連発するカンツォーネとは全く趣を異にし、社会的問題を痛烈に批判する曲を歌う特異な歌手として知られるようになりました。1965年ミーナもカヴァーした「La canzone di Marinella」などもヒットし、67年最初のアルバム「Fabrizio De Andre」を発売しました。
 ジャン・ピエロ・レヴェルヴェリのオーケストラを採用した70年のアルバム「La buona novella」」あたりから作風が変わり、アルバム作りもいわゆるコンセプト・アルバムとなり、71年の「Non al denaro non allamore ne al cielo」、72年の「Storia di un impiegato」はともに曲を映画音楽の巨匠ニコラ・ピオヴァーニと共作しています。
 75年の「Volume [」発表後サルデーニャ島に移住してしまいました。しかし、3年後の78年、マッシモ・ブボラと共作した「Rimini」が第二の転機となり、彼の地中海音楽への取り組みが始まります。このアルバムからは「Sally」がヒット。 そして、79年PFMがデ・アンドレを説得して伝説的となったコンサート・ツアーを行い、その模様を収録した「In concerto vol.1」(1979)、「In concerto vol.2」(1980)を発売。翌81年再びブポラの協力のもと「Fabrizio De Andre」を発売、妻で当時まだ現役の歌手だったドリ・ゲッツィと息子のクリスティアーノ・デ・アンドレも参加しました。
 そして、「Rimini」以来の流れの中で、地中海民族音楽を見直し、デ・アンドレ自身の新たな音楽として取り入れようという試みが84年のアルバム「Creuza de ma」となりました。このアルバムはすでにソロ・アルバム「地中海の伝説」として、同種の試みを成功させていた元PFMのヴァイオリニストのマウロ・パガーニの協力のもとに製作されています。
 その後再びサルデーニャ島に引きこもったデ・アンドレですが、90年「Le nuvole」を発売。91年にはコンサートも行っています。 96年、同じジェノヴァ出身のイヴァーノ・フォッサーティが協力したアルバム「Anime salve」を発売し、批評家層に高い評価を受けました。97年にかつてのヒット曲「La canzone di Marinella」をミーナとデュエットして再録音し、その他既発表曲のリマスタリング・ヴァージョンを集めたアルバム「Mi innamoravo di tutto」を発売しましたが、結局それが遺作となってしまいました。1999年1月10日、まだ58歳でしたが、他界してしまいました。死因は癌であるとされています。そして、最後のライヴ・アルバムとなった「In concerto」が彼の死後発売されています。

ディスコグラフィー

「Fabrizio De Andre」(1967)、「Tutti morimmo a stento」(1968)、「Volume V」(1969)、「La buona novella」(1970)、「Non al denaro non allamore ne al cielo」(1971)、「Storia di un impiegato」(1972)、「Canzoni」(1974)、「Volume [」(1975)、「Rimini」(1978)、「In concerto vol.1」(1979)、「In concerto vol.2」(1980)、「Fabrizio De Andre」(1981)「Creuza de ma」(1984)」、「Le nuvole」(1990)、「1991 Concerti」(1991)、「Anime salve」(1996)、「Mi innamoravo di tutto」(1997)、「In concerto」(1999)

アルバム紹介

Fabrizio De Andre  「Anime salve」

Fabrizio De André  「Anime salve」 (1996)

 遺作となってしまったアルバムで、日本でも輸入盤店でかなりの話題となったので買われた方も多いはず。プロデュースはデ・アンドレとピエロ・ミレージの共同で、ミレージはアレンジ・オーケストラ指揮も担当。作詞・作曲はデ・アンドレとイヴァーノ・フォッサーティの共作です。今回ももちろんジェノヴァ方言が多用されていて、フォッサーティはタイトル曲3.と7.「A cumba」でデュエットもしています。元歌手で妻のドリ・ゲッツィや息子のクリスティアーノ・デ・アンドレも協力しました。
(RICORDI  TCDMRL 392352-74321392352)


Fabrizio De Andre  「Le nuvole」

Fabrizio De André  「Le nuvole」 (1990)

 前作「地中海への道程」で地中海音楽とロックとの融合を図ったデ・アンドレですが、6年を経て再びマウロ・パガーニとの共同プロデュースのもとにその流れを汲んだアルバムを発表しました。タイトルは「雲」という意味。作詞には5.「Megu Megun(精神病患者の呟き)」、7.「'A Cimma(朝食の風景)」ではイヴァーノ・フォッサーティが、3.「Don Raffae」ではマッシモ・ブボラが共作者に名を連ねています。また、民族楽器だけでなく、ヴァイオリン、ヴィオラなどの弦楽器を多用したフル・オーケストラの導入、8.「Monti di Mola」でのタゼンダ(サルデーニャ島出身のグループ)のコーラス参加など、演奏も豪華で前作と同様デ・アンドレの代表作のひとつに数えられています。
(DISCHI RICORDI ・日本盤 キングKICP 115)


Fabrizio De Andre  「Creuza de ma」

Fabrizio De André  「Creuza de mä」 (1984)

 1978年の「Rimini」以来彼が取り組んでいた地中海音楽が集約されたアルバムで、「地中海への道程」の題で日本盤も発売されました。プロデュース、作詞・作曲はデ・アンドレと元PFMのメンバーのマウロ・パガーニとの共同によるものです。前編ジェノヴァ方言で歌われており、歌詞カードにはイタリア語による脚注も掲載されています。ロックを基本としながらも地中海全域の民族楽器(アラブ音楽などで使われているウードなど)を使用して、曲もジェノヴァの歴史にまつわるさまざまな内容が歌われています。
(DISCHI RICORDI CDMRL 6308・日本盤 キングKICP 24)


Fabrizio De Andre e PFM 「In concerto」

Fabrizio De André e PFM 「In concerto」 (1979・80)

 上述の通り79年、かつてイ・クェッリとして「La buona novella」(1970)でバックを務めたPFMがデ・アンドレを説得してサルデーニャ島から連れ出してコンサート・ツアーを行い、その模様を収めた「In concerto vol.1」(1979)、「In concerto vol.2」(1980)を発売しました。写真はその2枚のアルバムが1枚のCDに収められた盤です。主に「Rimini」からの曲が中心ですが、vol.1では6.「Il pescatore」、8.「La canzone di Marinella」など初期の作品も歌っており、vol.2ではオリジナルでそのPFMがバックを務めた7.「Maria nella bottega del falegname」なども演奏されて います。
(FONIT CETRA CDM 2043)


Fabrizio De Andre 「Rimini」

Fabrizio De André 「Rimini」 (1978)

 アドリア海の高級リゾート地リミニがタイトルとなったアルバムで、上記のように本作が彼の地中海音楽への取り組みのきっかけになったといえます。曲作りに当時まだ新進カンタウトーレだつたマッシモ・ブボラが協力し、アレンジはジャン・ピエロ・レヴェルヴェリです。
(DISCHI RICORDI CDOR 8897)

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