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Jonhhy Dorelli | ジョニー・ドレッリ

バイオグラフィー

 1937年2月20日ミラノ近郊のMeda生まれ。本名Giorgio Guidi(ジォルジォ・グイーディ)。歌手、俳優。歌手Nino D'Aurelio(ニーノ・ダウレリオ)の息子。
 1946年にアメリカに移住。ハイスクール・オブ・アート・ディ・ニューヨークに通い、ピアノと歌を勉強しました。
 1949年にCBSの新人コンクールに参加して好成績を収め、デビュー。1956年にイタリアに帰国しました。
 1958年のサンレモ音楽祭にドメニコ・モドゥーニョのパートナーとして「Nel blu dipinto di blu(ヴォラーレ)」を歌って優勝。「ヴォラーレ」は世界的な大ヒット曲となり、サンレモ音楽祭も有名になりました。翌59年にも再びモドゥーニョと組んで「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」で優勝。以後も1960年代後半にかけてサンレモ音楽祭の常連として多数出場して「L'immensita(涙に咲く花)」(1967)、「Il gioco dell'amore(恋の遊び)」(1969)などがヒットしています。ゼッキーノ・ドーロ(子供の音楽祭)の曲「Lettera a Pinocchio(ピノキオへの手紙)」や外国のスタンダードの「My funny valentine(マイ・ファニー・ヴァレンタイン)」などを歌ってもヒット。俳優としてもミュージカル等にも出演して活躍、司会者としても有名で、近年では1990年のサンレモ音楽祭で司会を務めています。
 また、女優カトリーヌ・スパークと結婚したことでも知られています。

アルバム紹介

Jonhhy Dorelli 「Mi son svegliato e c'eri tu」

Jonhhy Dorelli 「Mi son svegliato e c'eri tu」 (1997)

 1997年の発売となっていますが、おそらく1990年前後の録音かと思われます。なぜかというと、1994年頃本作と全く同内容でFIVE RECORDという会社から出ていた盤があったためです。 全20トラック入りのお買い得盤で、全編Augusto Martelliのオーケストラによる演奏をバックに、大半がカヴァー曲によって構成されています。タイトル曲1.と10.「L'unica occasione」のみがおそらくオリジナルの新曲だと思われます。その他イタリアの曲ではルイジ・テンコの2.「Se stasera sono qui(夜の想い)」、リッカルド・コッチァンテの3.「Margherita(マルゲリータ)」、8.「Questione di feeling(フィーリングの問題)」、ウンベルト・ビンディの4.「Arrivederci」、ジーノ・パオーリの5.「Una lunga storia d'amore」、彼自身がかつてサンレモで歌った6.「L'immensita(涙に咲く花)」、ミーナの7.「Le tue mani」、ルーチォ・バッティスティの名作でかつてドレッリ自身も歌っていた9.「E penso a te」を収録。彼はアメリカに住んでいた事もあって英語曲も得意で、11.〜20.は外国曲のスタンダードのカヴァーを収録。2種のメドレーのほか14.「New York New York」、15.「Yesterday」、19.「Feelings(フィーリング)」など、エンターティナーとしての貫禄充分の歌を聴かせてくれます。
(ECO POP EP 70682)

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