バイオグラフィー
1963年10月28日シラクーザ生まれ。
少年期ビートルズの音楽を聴いて過ごし、早い時期にピアノを習得、さらにスタジオにおいてギター、サックス、フルートの演奏に夢中になりました。17歳で最初の自作曲を作りましたが、1980年の初頭にイタリアン・ポップス界にもニュー・ウェーブの波が訪れます。1982年、ヴェヌーティはカターニャでデノーヴォ(Denovo)というニューウェーヴのグループを結成します。このグループはヴェヌーティとルーカ・マドーニァの2人がヴォーカルを担当。同年ボローニャで開催された「フェスティヴァル・ロックロイタリアーノ」に参加してフィレンツェのリフティーバに次いで2位となって人気グループとなりました。デノーヴォは1988年にはマドーニァの曲「Ma
che idea」でサンレモ音楽祭にも出場しましたが、8年間に5枚のアルバムを残して1990年に解散。
ヴェヌーティとマドーニァはそれぞれソロ歌手となり、しばしのブランクの後1994年にアルバム「Un
po' di febbre」とシングル「Fortuna」を発売。ワールド・ミュージックのエッセンスを採り入れたこの曲はちょっとしたヒットとなり、ポルトガル語でブラジリアン・ラヴ・アフェアが、そしてナポリ出身のア・カペラ・グループのネーリ・ペル・カーゾもカヴァーしました。同年フランコ・バッティアートのトリビュート・アルバム「Battiato
non Battiato」に「E ti tengo a cercare」で参加。
1996年サンレモ音楽祭新人の部に出場した女性歌手カルメン・コンソーリの「Amore di plastica」をコンソーリと共作して、彼女のファースト・アルバムのプロデュースも手がけ、デュエットも披露しました。そして彼自身もセカンド・アルバム「Microclima」を発売。
1998年新曲と過去のアルバムからのセレクションからなる15曲入りのサード・アルバム「Mai come ieri」を発売し、活動中。
アルバム紹介
Mario Venuti 「Mai come ieri」(1998)
マリオ・ヴェヌーティはシチリア島シラクーザ出身のカンタウトーレで,かつてデノーヴォというグループで活動していました。本作は新曲5曲と過去のアルバムへの収録曲のライヴ・ヴァージョン10曲から構成されており、新曲の目玉としてタイトル曲1.では彼がプロデュースを手掛けたことで知られる女性歌手カルメン・コンソーリとのデュエットを聴くことが出来ます。2.「Sto
per fare un segno」ではかつてのデノーヴォの仲間であるルーカ・マドーニァがコーラスで参加しました。5.以降はカターニァの小劇場でのライヴ録音で、過去の2枚のアルバムからの選曲となっており、14.「Fortuna(De
pois que o ilê passar)」のようなブラジル音楽のカヴァーもしています。その他もブラジルを意識したサウンドとなっています。劇場での録音のようですが、観客の拍手などは聞こえて来ないので、スタジオ・ライヴのような雰囲気となっています。
(Polydor 557 642-2)
Mario Venuti 「Microclima」(1996)
セカンド・アルバム。デノーヴォの頃のニューウェーヴの感じをやや残しつつもワールド・ミュージック、とくにブラジル音楽を意識した音作りとなっています。アラン・ゴールドバーグのプロデュース。ヴェヌーティはギター、フルート、サックス、キーボード、パーカッションを演奏しています。南国っぽいタイトル曲1.や2.「Niña
Morena」などもいいし、アコースティックな9.「Le maniglie dell'amore」もいい曲。実は私、レコード店でこのアルバムを初めて見たときはヴェヌーティのことは知らなかったのですが、雑誌「ラティーナ」で岡本太郎氏の記事を読んで買ってみました。そしたら、当たりでした。
(Polydor 531 920-2)