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Mietta | ミエッタ

バイオグラフィー

 1969年11月12日ターラント生まれ。本名ダニエラ・ミリエッタ。友人と3人でバンドを結成して地元のライヴ・ハウスなどに出演、歌手を目指してローマに移住し、1987年にはラジオ・ドラマの主役を演じて知られるようになりました。
 1988年のサンレモ音楽祭に参加して歌手でビューを果たし、1989年サンレモ音楽祭新人の部にカンタウトーレのアメデオ・ミンギが作詞・作曲、アレンジを務めた「Canzoni」で出場して優勝。翌1990年はミンギとのデュエットで、「Vattene amore」を歌い3位に入賞し、大ヒットして一躍人気歌手となりました。デビュー・アルバム「Canzoni」も好調な売上を記録。さらに翌91年にもサンレモに出場して「Dubbi no」を歌い、セカンド・アルバム「Volano le pagine」を発売。93年にはネックが作曲した「Figli di chi」でミエッタとメーダ通り少年隊(I ragazzi di via Meda、数々の若手男性歌手が参加)という形でサンレモに出場しています。1994年「Cambia pelle」の頃からそれまでの伝統的なメロディー重視の曲からファンキーでアグレッシヴなサウンドに変わり、1995年「Daniela è felice」、1998年「La mia anima」とアルバムを発売しています。
 2000年に久々にサンレモ音楽祭に出場し、マンゴ作曲の「Fare l'amore」を歌い、ベスト・アルバムを発売。

アルバム紹介

Mietta 「Daniela e elice」 (1995)

Mietta 「Daniela è felice」 (1995)

 あの初々しかったミエッタはどこに行ってしまったのでしょう。本作はジョヴァノッティのプロデュースでも知られるマイク・チェントンツェをプロデューサーに迎えていますが、1990年当時のミエッタを知るファンにはあまりの変わりようにただただ呆然とする限り。もちろん、オーソドックスな歌ばかりを歌っていればいいという訳ではなく、本作もそれなりに輸入盤店でも売れていたみたいですし... ただ、彼女の歌の上手さを知っているだけに本作を聴くと、「ウーン」と唸ってしまう私でした。
(FONIT CETRA TC)


Mietta 「Lasciamoci respirare」

Mietta 「Lasciamoci respirare」 (1992)

 サード・アルバム。本作でもビアージォ・アントナッチが1曲書いていて、それがタイトル曲となっています。本作あたりまでが伝統的なメロディーの曲を歌った歌物好きな人向けのアルバムと言えます。セルジォ・ラッコーネが書いた6.「Sto senza te」もグッとくるバラード・ナンバー。
(FONIT CETRA CDL 338)


Mietta 「Volano le pagnie」

Mietta 「Volano le pagnie」 (1991)

 セカンド・アルバム。ミンギの作品がサンレモ入賞曲の1.「Dubbi no」だけになり、1stよりも曲に変化がついて良くなりました。マリエッラ・ナーヴァ作詞・作曲の2.「I gioco delle parti」もヒットしています。ビアージォ・アントナッチも3.「Brivido di vita」を、マンゴも5.「Oltre te」、6.「Soli mai」、7.「E no(Cosa sei)」と3曲書いています。タイトル曲10.は90年にサンレモ新人の部に出場しているカンタウトーレのセルジォ・ラッコーネが書いており、8.「Cantare,ballare」はそのラッコーネとのデュエット曲。11.ではスタンダードの「Lover man」をカヴァーしています。本作からは歌詞カードも付いていますのでご安心を。
(FONIT CETRA CDL 275)


Mietta 「Canzoni」

Mietta 「Volano le pagnie」 (1991)

 デビュー・アルバム。上述のようにミエッタは1989年サンレモ音楽祭新人の部にカンタウトーレのアメデオ・ミンギが作詞・作曲、アレンジを務めた「Canzoni」で出場して優勝していますが、本作では9.で同曲が再録音されています。1.は上述のように90年のサンレモで3位となったミンギとのデュエット曲「Vattene amore」で、6.ではソロで歌っているヴァージョンを聴くことが出来ます。半数以上の曲をミンギが書いています。いいアルバムですが、ジャケットが1枚の紙だけで、歌詞カードがないのが残念。
(FONIT CETRA CDL 249)

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