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Formula 3| フォルムラ・トレ

バイオグラフィー

 現在のイタリアン・ポップスの基礎となったルーチォ・バッティスティが1969年、作詞家のモゴール、後にバンコ、オディッセアのプロデューサーとなるサンドロ・コロンビーニを中心として設立されたレコード会社「ヌメロ・ウーノ」の契約第1号となったグループで、1968年に結成。メンバーはギター、ヴォーカルのアルベルト・ラディウス(1942年6月1日ローマ生まれ)、ドラムス、ヴォーカルのトニー・チッコ(1949年11月28日ナポリ生まれ)、キーボードのガブリエーレ・ロレンツィ(リヴォルノ生まれ)の3人編成で、ラディウスはかつてよりバッティスティと付き合いがあったそうです。1970年に発売されたデビュー作のシングル「Questo folle sentimento(狂気の感覚)」はヌメロ・ウーノより発売された記念すべき最初のレコードで70年間ベスト32位にランクされるヒットとなりました。続いてデビュー・アルバム「Dies irae(怒りの日)」を発売、シングル「Sole giallo,sole nero(黄色い太陽、黒い太陽)」、「Io ritorno solo」などがヒットしています。1971年には「La folle corsa(暗闇を突っ走れ)」でサンレモ音楽祭に出場して入賞。同年夏発売のシングル「Eppur mi son scordato di te」は71年の年間ベスト20位にランクする大ヒットとなり、セカンド・アルバム「Formula 3」を発売しています。72年のサード・アルバム「Sognando e risognando(夢のまた夢)」からはそれまでのバッティスティ作品中心から自作曲が中心となり、シングル「Aeternum(永遠)」はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われた第7回インターナショナル・ソング・フェスティヴァルで優勝、1973年に4枚目のアルバム「La grande casa(神秘なる館)」を発売しますが、それを最後にグループは解散、チッコはソロに、ラディウスとロレンツィは新たに結成されたイル・ヴォーロのメンバーとなりました。
 しかし、1990年に再結成し、昔の曲を録音し直したアルバム「1990」を発売、続いて1991年にはアルバム「King Kong」を発売。1992年には選外となりましたがサンレモ音楽祭に出場して「Un framento rosa」を歌い、アルバム「Framenti rosa」を発売しています。93年のバッティスティの曲をカヴァーした「25 anni di Lucio Battisti visto da noi」以降ロレンツィが抜け、94年サンレモ音楽祭に「La casa dell'imperatore」で入賞した際にはアンドレア・ピスティッリ(1964年11月5日ローマ生まれ)がキーボードとして加入していますが、再びバッティスティの曲をカヴァーした97年の「A Sarabanda」ではメンバーにクレジットされておらず、現在どういうメンバーとなっているのかは不明です。

アルバム紹介


Formula 3 「25 anni di Lucio Battisti visto da noi」

Formula 3 「25 anni di Lucio Battisti visto da noi」 (1993)

 「私達から見たルーチォ・バッティスティの25周年」というタイトルが示すように、全曲バッティスティの曲からなるアルバムです。ロレンツィが抜け、キーボードにはステファノ・プレヴィスティとマウロ・ガッツォーラという二人が加わっています。トレのヒット曲でもある4.「Eppur mi son scordato di te」以外はバッティスティのヒット曲で、1.「La canzone del sole」に始まり、18.の「Il tempo di morire」まで18曲たっぷりと聴かせてくれます。個人的にはかつてトレのデビュー・アルバムにも入っていた10.「Non e Francesca」をあの当時とはぜんぜん違ったポップなアレンジで演奏しているのが好きです。全曲ヴォーカルはチッコが取っています。なお、この後97年に発売された「A Sarabanda」もバッティスティ作品を14曲カヴァーしたアルバムで、本作とは「Eppur mi son scordato di te」、「Non e Francesca」、「Il tempo di morire」の3曲が重複しますが、キーボードがマウリツィオ・メタッリに代わり、ハモンドオルガンがマウロ・ガッツォーラのほかにダリオ・バルダン・ベンボが加わっているため、別テイクです。
(RCA 74321-17295-2)


Formula 3 「Framenti rosa」

Riccaodo Fogli  「Ballando」 (1998)

 上述のように選外となりましたが、92年のサンレモ音楽祭に出場して1.「Un framento rosa」を歌い、発売されたアルバムです。ラディウスとチッコのプロデュース。ベース、アコースティック・ギター、コーラスとして参加しているマッシモ・ルーカが1.2.10.と3曲を書くなど、メンバーのみの作ったオリジナル作品がなく、全体的にポップなサウンドに仕上がっており、70年代の彼等のいわゆるプログレ・ファンにアピールするような内容を求めるとすればやや不満が残るかも知れません。3.「7 e 40」はバッティスティのかつてのヒット曲です。
(DURIUM ND-CD 201)


Formula 3 「Dies irae」

Formula 3 「Dies irae」 (1970)

 フォルムラ・トレの記念すべきデビュー・アルバムです。本作ではまだ、ラディウスのギターを中心としたサウンドで、シンフォニックさに欠けていますが、70年という製作年を考えるとかなり斬新なものだったはず。プロデュースはバッティスティ。タイトル曲1.はメンバーの合作による曲で、2.「Non e Francesca(フランチェスカではない)」はバッティスティのファンにはおなじみの曲。でも、バッティスティのそれとはぜんぜん違ってかなりエキサイティングなロック・サウンドとなっています。4.5.「Questo folle sentimento(狂気の感覚・4.はイントロ)」はデビュー・シングルとなった曲でバッティスティの作品。他人の曲や外国曲なども演奏されています。
(RCA ERC-32013)

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