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Matia Bazar | マティア・バザール

バイオグラフィー

 日本でもかつて「ローマの休日」、「愛のブルー・トレイン」などがヒットし、人気のグループ。
 1975年に結成。レコード会社のアリストンがマティア(アントネッラ・ルッジェーロ、1952年ジェノヴァ生まれ)を売り出そうと、グループのJETにいたギターのカルロ・マッラーレ(1952年3月15日ジェノヴァ生まれ)、キーボードのピエロ・カッサーノ(1948年9月13日ジェノヴァ生まれ)、ベースのアルド・ステッリータ(1947年カンポベッロ・ディ・マヅァーラ生まれ)を、ムゼオ・ローベンバッハからドラムのジァンカルロ・ゴルツィ(1952年2月10日サンレモ生まれ)を参加させ紅一点のヴォーカル、マティアを加えた5人組のグループとしてスタートしました。
 75年夏のディスクに「Stasera che sera(夜をとどめて)」でデビューし、アルバム「Matia Bazar 1」を発売。続いて同年「Per un'ora d'amore(ひとときの愛のために)」がヒットし、翌76年も「Che male fa(悪戯)」がヒットし、メロディー重視の心地よいイタリアン・ポップスを奏でるグループとして注目を集めるようになりました。77年には初めてサンレモ音楽祭に出場し、「Ma perché(恋の冒険)」を歌い選外となりましたが、レコード・セールスでは成功を収めています。同年セカンド・アルバム「Granbazar」とベスト・アルバム「L'oro Dei Matia Bazar Solo tu」を発売。新曲として「Solo tu」が収録され、ヒット。77年さらにシングル「Mr. Mandarino」がヒットし、78年には「...E dirsi ciao(チャオとひとこと)」で再びサンレモに出場し、総合優勝を果たしました。以後「Semplicità」(1978)、「Tourneé」(1979)とアルバムを発売しています。「Il tempo del sole」(1980)の製作時、キーボードのピエロ・カッサーノと他のメンバーとが音楽面で対立し、結局ピエロはグループを脱退してしまいました。
ピエロはその後プロデューサー・作曲家として、アンナ・オクサエロス・ラマッツォッティなどを手掛けています。
 81年ピエロの抜けた後任としてマウロ・サッビォーネが加入し、当時流行のエレクトリック・ポップ(テクノ)を取り入れ、完全に別のグループであるかのように生まれ変わりました。新生マティア・バザールの第一弾アルバムとして「...Berlino...Parigi...Londra」が発売されていますが、大成功には至りませんでした。サッビォーネはすぐに脱退してしまいますが、鬼才プロデューサーのロベルト・コロンボを迎え83年のサンレモ音楽祭で「Vacanze romane(ローマの休日)」を歌って大ヒット。アルバム「Tango」は日本でもLPが発売されて、人気を集めました。アルバム「Aristocratica」(1984)で参加していたキーボードのセルジォ・コッス(1960年ミラノ生まれ)が「Melanchólia」(1985)より正式にメンバーに加わり、チェルソ・ヴァッリがプロデュースした1987年のアルバム「Melò」ではこれまでのカルロ・マッラーレに代わってセルジォ・コッスがほとんどの曲を書き、サウンド面でも彼のキーボードが主体のものに代わりました。88年サンレモ入賞曲の新曲「La prima stella della sera(空の一番星)」を含んだベスト・アルバム「Matia Bazar」を発売、そして89年のアルバム「Redcorner」を最後に紅一点のヴォーカル・アントネッラが脱退してソロ歌手として再出発することになり、グループは解散状態となりました。
 その後新ヴォーカルとして1991年にラウラ・ヴァレンテが加入して、新作「Anime pigre」を発売。1992年には「Piccoli giganti」でサンレモに出場し、ベスト盤「Tutto il mondo dei Matia Bazar」を発売。翌93年も「Dedicato a ate」でサンレモに出場し、アルバム「Dove la canzoni si avverano」を発売しています。94年サンレモでソロとして出場した結成以来のメンバーであったカルロ・マッラーレまでもが脱退して4人組となり、95年アルバム「Radiomatia」、97年「Benvenuti a sausalito」を発売。
 1998年ベースのアルド・ステッリータが長い病の後に亡くなってしまい、ラウラ・ヴァレンテの出産・子育てによるグループの再編を余儀なくさせられたジァンカルロ・ゴルツィは、1999年にかつてのグループの支柱であったピエロ・カッサーノに声をかけてメンバーへの再参加を要請。ヴォーカルにはSilvia Mezzanotte(シルヴィア・メッヅァノッテ・1967年4月22日ボローニャ生まれ)が加入、またキーボード、ヴァイオリンを演奏し、アレンジャーでもあるFabio Perversi(ファビオ・ペルヴェルシ・1970年9月22日ミラノ生まれ)が加入。2000年のサンレモ音楽祭に「Brivido Caldo」で参加して同名のアルバムを発売しています。
 一方グループを脱退したアントネッラはソロとしてサンレモ音楽祭にも復帰し、活動しています。

アルバム紹介

 Matia Bazar 「Messaggi dal vivo LIVE」

Matia Bazar 「Messaggi dal vivo LIVE」 (2002)

 2002年代52回サンレモ音楽祭優勝のマティア・バザールの新譜は結成以来初のライヴ・アルバムです。(1977年のセカンドアルバム「Granbazar」において、LPのA面がライヴ録音となったことはありますが、本作のようなほぼ全編にわたるライヴ・アルバムは今回が初です。)冒頭のサンレモ優勝曲の1.「Messaggio d'amore」と2.「Ritmo della luna」の2曲のみスタジオ録音で、以降の15曲は2000・2001年のツアーからのライヴ録音です。ライヴはまずは1979年の3.「C'è tutto un mondo intorno」で幕を開けます。そしてヴォーカルがラウラ・ヴァレンテの頃の1993年にサンレモに出場した4.「Dedicato a te」、そしてヴォーカルが初代のアントネッラ・ルッジェーロ時代の1988年サンレモ入賞曲で当時はベスト盤にしか収録されなかった5.「La prima stella della sera(空の一番星)」と続きます。6.「Ti sento(失われた島)」はアントネッラ時代のヒット曲で、日本でも某化粧品メーカーのCF曲として使用されました。そしてようやく今のメンバーになってからのサンレモ入賞曲で2000年の7.「Brivido caldo」が登場します。曲はほぼ、現在のリーダー格でプロデューサーのピエロ・カッサーノがメンバーを離れていた頃の作品はオリジナルに準じたアレンジ、ピエロの在籍当時の曲はアレンジを変えて、というように演奏されています。2000年のグループ再結成後の曲と昔懐かしい曲がバランス良く配され、昔からのファンと現在のファンの両方にアピールする作品となっています。初代ヴォーカルのアントネッラの個性があまりに強いので、後任の女性ヴォーカリストは何かと比較されて気の毒ですが、今回の優勝で肩の荷が下りたのではないでしょうか? 締めは1978年のサンレモ優勝曲17.「E dirsi ciao(チャオとひとこと)」。まるで、今回のサンレモ優勝を確信していたかのような選曲のようにも思えます。
(Bazar Music BZR 507686-2)


Matia Bazar 「Brivido caldo」

Matia Bazar 「Brivido caldo」 (2000)

  2000年のサンレモに出場したマティア・バザールは、セルジォ・コッスが抜け、ドラムのジァンカルロ・ゴルツィの呼びかけで初代のメンバーであるピエロ・カッサーノが復帰。紅一点のヴォーカルがラウラ・ヴァレンテからシルヴィア・メッヅァノッテに代わり、キーボードとヴァイオリンを弾く若手のファビオ・ペルヴェルシが加入し、再編成されました。本作はサンレモ入賞曲1.「Brivido caldo」を含んだ新曲9曲と、新メンバーによるかつてのヒット曲のセルフ・カヴァーとして4.「Solo tu」、8.「Vacanze romane(ローマの休日)」、10.「Ti sento(失われた島)」、12.「Cavallo bianco(白い馬)」の4曲を加えた計13曲を収録。新曲はほとんどがピエロの作曲で、彼の加入により、キーボードの多用が目立ち、ロック色は薄くなりました。プロデュースはピエロ・カッサーノとジァンカルロ・ゴルツィ。アシスタント・プロデュースはファビオ・ペルヴェルシと本作にギターで参加しているマウリツィオ・マッキォーニ。カルロ・マッラーレも5.「Tu dove sei」に参加しています。サンレモ曲1.も昔のマティア・バザールを彷彿させるような曲。好みは人それぞれでしょうが、私としてはラウラよりも今度のシルヴィアの方が落ち着きがあり、上品な感じがするので好きです。ピエロの歌で始まる3.「Non abbassare gli occhi」はかつてのベース担当で98年に他界したアルド・ステッリータの96年作の詞にピエロが新たに曲を付けたもの。13.「Sissy」のみインスト。なお、ギター等はメンバー以外のミュージシャンがサポートしています。
(Sony Music COLUMBIA COL 497796 2)


Matia Bazar 「Benvenuti a sausalito」

Matia Bazar 「Benvenuti a sausalito」 (1997)

  カルロまでもが脱退し、4人になったマティア・バザールですが、本作ではカルロ・デ・ベイという人がギターとして協力しています。プロデュースはキーボードのセルジォ・コッス。5.「Sausalito」など今までのマティア・バザールにないタイプの歌を歌っていますが、「Melò」の時のようにセルジォ・コッスは目立っていなく、全体的にバンドとしてシンプルになりました。でも、音としては元気になったとでも言うべきでしょうか。凝りすぎてないところが良いような気もします。皮肉なことにバックのサウンドは変わったのに、ラウラの歌が何だか最初の頃よりアントネッラを意識しすぎているように感じられます。
(Polydor 537 509-2)


Matia Bazar 「Radiomatia」

Matia Bazar 「Radiomatia」 (1995)

 94年ソロとしてサンレモ音楽祭にも出場したカルロ・マッラーレが脱退し、4人となったマティア・バザール。本作では1.「La scuola dei serpenti」のみ新曲で、残りは過去のヒット曲のニュー・ヴァージョンとなっています。プロデュースはセルジォ・コッス。カルロが抜けたギターはパオロ・ジャノーリオという人が協力しています。アントネッラ在籍時のヒット曲3.「Vacanze romane」、7.「Stasera che sera」などのほかラウラ加入後の6.「Dedicato a te」、13.「Piccoli giganti」なども演奏されていて興味深い内容となっています。
(POLYDOR 529 141-2)


Matia Bazar 「Red corner」

Matia Bazar 「Red corner」  (1989)

 本作は1989年の作品で、紅一点のヴォーカルとして結成時からグループの顔でもあったアントネッラ・ルッジェーロが参加した最後の作品です。1987年の「Melò」では、キーボードのセルジォ・コッスが全面的に音楽をリードしており、それまでのエレクトリック・ポップ色は影を潜め、彼のキーボードを中心とした上品なイメージのポップスに仕上げられていました。本作ではほとんどの曲のアレンジをイタリアン・ポップス界の名プロデューサーであるマウリツィオ・ファブリツィオが務めております。それによって、前作よりもより明るくポップな作品となっています。サブ・メンバー的存在で、以前から参加しているヤコポ・ヤコペッティのサックスが随所に効果的に入っており、ギターのカルロ・マッラーレも久々にヴォーカルを取っています。また、それぞれの曲は彼らがツアーで訪れた海外の諸都市(ロンドン、バルセロナ、マラケッシュ、モスクワ等)をイメージ、または実際にその地で作られていて、1曲ずつライナーにどの都市のものかが記載されています。バルセロナを訪れたときのイメージで作られた4.「Winnie(ウィニー)」では、ロックンロールのカンタウトーレであるエドアルド・ベンナートがハーモニカを吹いています。
 本作はキングレコードから国内盤も「レッドコーナー〜抱きしめて」の題で発売されました。
(キング 292E 2066)


Matia Bazar 「Melancho'lia」

Matia Bazar 「Melanchólia」 (1985)

 「Tango」のあとの「Aristocratica」(1984)ではその芸術性が前面に押し出されて、難解な歌詞ということもありやや一般的ヒットからは遠のいてしまった感がありました。その後世界歌謡祭のために来日し、イタリアではアルバムに収録されていない「Cercami ancora(マジック・モーメンツ)」を歌っています。そのため、日本でもお馴染みになり、本作の1.「Ti sento(失われた島)」は化粧品メーカーのCF曲として使用されました。前作で参加していたキーボードのセルジォ・コッスが正式メンバーに加わり、プロデュースもチェルソ・ヴァッリに代わっています。歌詞もアルドが書いた文学的なものが多くなっています。エンディング8.「Souvenir(スーヴニール)」はサンレモ入賞曲で、その後生命保険会社のCF曲となりましたが、アルバムとシングルとでヴァージョンが違い、シングルのものはベストやオムニバス盤で聴けます。6.「Amami(郷愁の星)」も自動車のCF曲となり、人気を集めました。
(日本盤 キング K32Y 2034)


Matia Bazar 「Tango」

Matia Bazar 「Tango」 (1983)

 この年新生マティア・バザールになってから初めてサンレモ音楽祭に出場し、1.「ローマの休日」を歌いました。順位は5位でしたが大ヒットし、日本でも知られるようになり初めて日本盤LPも発売されました。プロデュースに鬼才ロベルト・コロンボを迎え、前作以上にエレクトリック・ポップ色が濃くなっています。3.「Elettrochoc(エレキのショック)」ではカンタウトーレの異才エンツォ・ヤンナッチが参加しました。
(CGD CDS 6054)


Matia Bazar 「...Berlino...Parigi...Londra」

Matia Bazar 「...Berlino...Parigi...Londra」 (1981)

 81年上述のようにピエロが脱退し、後任としてマウロ・サッビォーネが加入、当時流行のエレクトリック・ポップ(テクノ)を取り入れた意欲的なアルバムです。自作に続いて日本盤もLPで発売されました。1.は「リリー・マルレーン」のマティア風のアレンジ。3.「Passa la voglia」は外国曲のカヴァーで原題は「Look at the rain fall」。6.「Fantasia(ファンタジー)」がヒットしたものの、昔からのファンはあまりのサウンドの変わり様に戸惑ったはず。サッビォーネが作曲したインスト8.「Zeta」、グループ・メンバー全員の共作曲10.「Astra」の2曲はインストです。まだ、随所にピエロ在籍時代のドラマチックな曲も残っています。
(Virgin MPICD 1014)


Matia Bazar(PAL-VIDEO)

Matia Bazar(PAL-VIDEO)  (1981)

 1981年スイスのテレビで放映されたピエロ・カッサーノ在籍の初代マティア・バザールのおそらく最後であろう貴重なライヴ・ビデオ。公開録音のスタジオライヴで、1.のインスト「Sigla Matia Bazar」から2.「Tu sempilicità」で幕をあけます。4.「Italian sinfonia」、5.「Cavallo bianco」、6.「Il tempo del sole」、7.「C'è tutto un mondo intorno」、9.「Stasera che sera」など初期の代表曲がずらりと並び、10.「Solo tu」がエンディング。レコード以上にライヴで聴くと、バンドとしての良さが伝わってきます。その後ピエロが脱退、エレクトリック・ポップへと変わっていきます。
(RICORDI ORV 2013)


Matia Bazar 「Granbazar」

Matia Bazar 「Granbazar」 (1977)

 セカンド・アルバムで、LP時代のA面(CD1.〜3.)はライヴ録音です。タイトル曲1.は「Stasera che sera」、「Per un'ora d'amore」、「Che male fa」と続くメドレー、2.ではビートルズの「Yesterday」のマティア風のアレンジです。3.「Noi...(私たち)」はライヴ用のインスト曲となっています。スタジオ録音のほうは76年にヒットした4.「Che male fa」、後に「Solo tu」のB面となる「Per un minuto e poi...(一時のために そして...)」、7.「La strada del perdono(ひとすじの途)」、8.77年にサンレモ音楽祭参加曲「Ma perché(恋の冒険)」が収録されています。マティア・バザールの長い活動暦の中で、ライヴ録音がまとまった形で聴けるのは本作のみであり、貴重です。
(日本盤 キング 260E 52069)


Matia Bazar 「Matia Bazar 1」

Matia Bazar 「Matia Bazar 1」 (1975)

 デビュー・アルバム。最初のヒット曲で、日本でもよく知られている6.「Stasera che sera(夜をとどめて)」や、1.「Per un'ora d'amore(ひとときの愛のために)」を収録しています。2.「Cavallo bianco(白い馬)」もピエロのキーボードの展開がスケールの大きさを感じさせる名曲。イタリア経済の停滞期の70年代において、デビュー盤でこれだけの成功を収めたこと自体、賞賛されるべきでしょう。メロディーの美しいほのぼのとしたサウンドは今聴いても決して色褪せていません。写真は世界初CD化となった日本盤で、オリジナルとは写真が違っています。
(日本盤 キング 260E 52068・廃盤)

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