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Rossana Casale | ロッサーナ・カザーレ

バイオグラフィー

 透明感ある素晴らしい声とジャズィーなアルバムが日本でも人気があるロッサーナ・カザーレ。1959年7月21日アメリカ人の父とヴェネツィア出身のイタリア人の母との間にニューヨークで生まれました。3歳で母の故郷ヴェネツィアに移り、6歳でミラノに移り住みました。ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で学び、17歳でコーラス・ガールとしての仕事を始め、ミーナの「Kyrie」(1980)、「Salome」(1981)、リッカルド・コッチァンテの「Cervo a primavera」(1981)など有名アーティストのアルバムに参加しています。
 1983年最初のシングル「Didin」を発売。翌84年PFMのプロデュースによる最初のアルバム(ミニ・アルバム) 「Rossana Casale」を発売しました。その後名プロデューサーのマウリツィオ・ファブリツィオと出会い、「Brividi(愛の花びら)」で1985年サンレモ音楽祭に参加しました。翌86年アルバム「La via dei misteri」を発売し、日本盤も1年遅れで発売されて話題となりました。1987年サンレモ音楽祭で「Destino」を歌い入賞。1989年再びサンレモに出場し「A che servono gli dei」を歌い、アルバム「Incoerente jazz」を発売し、高い評価を受けました。1989年にはデビュー曲の「Didin」やトッキーニョズッケロ、マイク・フランシスなどとのデュエット曲を集めたコンピレーション盤「Frammenti」を発売しています。1991年サンレモで「Terra」を歌い入賞し、アルバム「Lo stato naturale」を発売。1993年グラツィア・ディ・ミケーレとのデュエット曲「Gli amori diversi」でサンレモで3位となり、アルバム「Alba argentina」を発売。父親の影響もあり、デビュー当時からジャズのエッセンスを取り入れたアルバム作りをしていましたが、1994年にはジャズ・ナンバーを集めたアルバム「Jazz in me」を発売しています。1996年アルバム「Nella notte un volo.」を発売、そして1999年フランスのジャック・ブレルの曲をすべてイタリア語で歌ったアルバム「Jacques Brel in me」を発売しました。

アルバム紹介

Rossana Casale 「Jacques Brel in me」

Rossana Casale 「Jacques Brel in me」(1999)

 タイトルからもわかるようにフランスの今は亡きジャック・ブレルの作品を歌ったアルバムです。他のイタリア人女性歌手にはない透明感のある声で歌うロッサーナは、デビュー当時よりジャズのエッセンスを多分に取り入れたアルバムを作っていましたが、今回もピアノ、サックス・クラリネット、ウッドベース、ドラムの4人編成のバンドをバックにブレルの作品をジャジーに歌っています。なお、全曲イタリア語で歌っており、訳詞はブルーノ・ラウツィジーノ・パオーリなどによる過去に作られたものが中心です。録音は全12曲70分以上にわたり、秋の夜長などにグラスを傾けて聴くにはもってこいのアルバムです。
(Carisch CL76)


Rossana Casale 「Alba argentina」

Rossana Casale 「Diario Carboni 93/94」(1993)

 サンレモで3位となったグラツィア・ディ・ミケーレとのデュエット曲4.「Gli amori diversi」が入っています。プロデューサーが元PFMのルーチォ・ファブリになりました。マウリツィオ・ファブリツィオも2.のタイトル曲「アルゼンチンの夜明け」という素晴らしい曲を書いています。ジャズィーな感覚は薄れ、ややエスニックな要素が加わった印象で、サンレモでパートナーを組んだディ・ミケーレも半数近く曲を書いています。6.の「Davvero propizio il giorno per il toro e il capricorno」はジォルジォ・コンテとのデュエット曲。
(CGD 4509-92072-2)


Rossana Casale 「Lo stato naturale」

Rossana Casale 「Lo stato naturale」(1991)

 ジャズのエッセンスを採り入れたアルバムで定評のあるロッサーナ・カザーレですが、本作はさらにアフリカ、スペインなどのエスニックな要素も加わった意欲的な作品です。「ナチュラル・コンディション」の題で日本盤も発売されました。アレンジはマウリツィオ・ファブリツィオ。彼とロッサーナとの共同プロデュースです。フランス語の男性のコーラスから始まるタイトル曲1.で、それまでの彼女の作品とは趣を異にすることがすぐさまわかります。そして、エスニックさが特に顕著に表れているのが1991年のサンレモ音楽祭の参加曲4.「Terra(大地)」で、セネガルのトゥレ・クンダをゲストに迎えています。話題を呼んだジャケット写真はロッサーナ自身のヌード写真で、これはタイトル曲の持つ意味「自然な状態」を表現したもので、デビュー以来彼女のジャケット写真を撮り続けている彼女の父親の作品とのことです。なお、コーラスでアレッサンドロ・バローニという人が参加していますが、後にソロ・デビューするアレックス・バローニでしょう。
(日本盤・日本フォノグラム PHCA-85)


Rossana Casale 「Incoerente jazz」

Rossana Casale 「Incoerente jazz」(1989)

 「La via dei misteri」に続き、マウリツィオ・ファブリツィオのプロデュースによるアルバムで、1989年サンレモで歌った素晴らしい3.「A che servono gli dei」が収録されています。ロッサーナは1989年サンレモ・ワールド・ツアーの一員として来日予定でプログラムにも印刷されていましたが、実際に来日したメンバーはプログラムと大幅に異なり、彼女も来ませんでした。(残念!) 現在は廃盤ですが、日本盤はイタリア盤に歌詞対訳・解説等を加えての発売でした。ジャケットの写真も素晴らしく、私は彼女のアルバムではこれを特にお奨めします。2.「Un cuore semplice」もよい曲です。
(PHILIPS 838 143-2)


Rossana Casale 「La via dei misteri」

Rossana Casale 「La via dei misteri」(1986)

 前述のようにマウリツィオ・ファブリツィオのプロデュースによるアルバムで、彼女にとって2枚目のアルバムですが、デビュー盤はミニ・アルバムだったので初のフル・アルバムです。写真は1986年発売のイタリア盤とはジャケットが異なる日本盤(現在廃盤)で1987年の発売。87年サンレモ音楽祭で歌った7.「Destino(恋のパピヨン)」が追加収録され、アルバムのタイトルも「ロサーナ〜恋のパピヨン」となっています。イタリア盤も後にプレスされたものは追加されたようです。この頃はそのルックスから日本ではややアイドルっぽく紹介されていました。
(日本盤 日本フォノグラムPHILIPS 32PD-262)

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